平成22年 地域伝統文化総合活性化事業
横浜の近代建築資産の保全・活用によるまちの魅力づくり 記録集(平成23年3月)
 
市民向け普及啓発セミナー 絹が育てた横浜の近代建築
(1)「象の鼻・転車台」
 
(1)「象の鼻・転車台」
 
日 時
会 場
 
講 師
参加者
  2010年7月25日(日)13:00〜16:00
(講演
) BankART Studio NYK カフェリブ
(見学
) 象の鼻・転車台ほか
堀 勇良氏(建築史家・横浜歴史資産調査会理事
)
59名
■概要
□事業の概要
 
□ご挨拶(横浜歴史資産調査会常務理事 米山 淳一)
 
・セミナーにご参加いただきありがとうございます。 「絹」は、開港都市横浜の人・もの・文化の流れにとって大きな役割を果たしてきました。今年度は、絹とのかかわりに視点を置いて横浜の近代建築を紹介する3回シリーズのセミナーを開催いたします。第1回目は、まず、「象の鼻・転車台」を中心に、絹を世界に送り出した横浜の港湾部の歴史的建造物にスポットを当ててまいります。
□講演要旨
1.象の鼻の復元
<復元の参考となった古い写真の紹介>
 
・明治7年、象の鼻の先の方から山下町を見た写真。先端に白いポストがあるが、これは灯台が写っている。
・明治10年頃、大桟橋が出来ていない時代の写真。非常に賑わっている状況を伝えている。
・明治20年代前半と思われる、海から撮っているもの、大桟橋が出来る前。日本大通りの突き当り。震災前の横浜税関の庁舎、イギリス領事館
(現開港資料館)が写っていて、復元の際に大変参考になった。
・大桟橋が出来ている。正面の赤レンガは税関の監視部と言われている。
・大正期の2号岸壁の岩屋が写っている。赤煉瓦倉庫も写っている。震災の直前と思われる。
・震災の後、象の鼻の根元がかなり崩壊している。先端に近い方が残っているように写っている。
・震災復興の初期の写真。根元のところが直線化している。復元する時に問題になった部分。
ーーこれらの写真をもとに、どのように復元するか検討した。
 
・明治初年に象の鼻の原型ができる。形はほとんど象の鼻だが、護岸が傾斜で波除の部分がない時代。明治7年には嵩上げされていたが、いつ嵩上げされたのかは正確に分かっていない。
・明治27年頃の地図
(大桟橋が出来た時期)をもとに、当時の規模の状態に復元するのが適当だと判断された。
・震災復興の時に象の鼻が直線化したが、大桟橋が出来た時のものと、線が重ならないので苦労した。震災復興後の先端に近い部分や根元部分は、明治20年代の地図と重なる部分と重ならない部分をどうするか。復元する作業は、解体工事の時に出てきた震災復興の時も残っていただろうという明治初期からの護岸が出てきた時の状態は、当初の想定のものと比べると、かなり傾斜していることがわかった。明治初期の象の鼻の石畳が残っている写真と比べると、落ち込んでいる形で出てきた。これをどう復元のなかで扱うか、判断することに苦労した。
2.転車台の復元
 
・大桟橋が出来た時に、大桟橋に鉄軌道が敷かれたことが分かった。明治27年の地図から分かる。大桟橋に向けて2線、税関構内に入ると1本が2線に分かれて4線になっている。
・明治33年に出された横浜税関一覧という本の中に鉄軌道の様子が詳しく図示されている。4つの転車台が記されている。
・大桟橋が出来て以降の工事の記録を追うと、明治27年6月に門が作られ、明治28年に鉄道貨車150輌が発注されている。準備工事のようなものが明治28年に発注されているなどの様子が分かる。これらのことから、鉄軌道、転車台が明治28年の6月から9月頃に作られたことが分かる。倉庫も明治29年頃に出来たと判断できる。直径8フィート、44ヵ所の転車台と入札記録にある。
・震災後、相当な嵩上げがなされたと考えられ、護岸の位置も変わったと思われるので、これに接続する細かな状況はよく分からなかったが、転車台が出来た当時の様子がよく分かった。
・明治33年に新港埠頭が出来ている。大正の初めに鉄道が引き込まれているが、この時の転車台は15フィート。この時に初めて大桟橋の鉄軌道は、日本の幹線鉄道につながったと考えられる。その後関東大震災があり、この跡地が60センチ嵩上げされた状態で廃棄され、80年ぶりに再び現れたということになった。
・象の鼻パークの整備工事中に出てきたので活用できないかと検討した結果、4つの転車台を整備した。
<質疑応答>
Q.転車台は日本製かどうか。
A.不明である。
Q.転車台の用途は。
A.蒸気機関車時代の施設。現代にあるかどうかは不明。
Q.象の鼻の復元に使用した石は発掘されたものが使われたのか。
A.残っていたものはごく一部。古い石で使えるものは使った。
Q.復元の苦労は。
A.資料と一致しないものが出てくること。現場の人は想定していないものが掘っているうちにでてくることに苦労したと思われる。
 
■講師プロフィール
堀 勇良(ほり たけよし)氏
京都大学工学部建築学科卒。東京大学大学院・生産技術研究所で村松貞次郎に師事。工学博士。2005年、「履歴を通じての近代日本外国人建築家の研究」で日本建築学会賞
(論文)を受賞。藤森照信とともに「東京建築探偵団」を結成。横浜市開港資料館研究員、文化庁を経て、現在は日本近代建築史の調査・執筆等で活躍。横浜市歴史的景観保全委員も務める。
 
■参加者アンケート結果
設問1 今回の企画内容について(n=38)
1 おもしろかった 21人
(55.3%)
2 ふつう 14人
(36.8%)
3 つまらなかった 1人
(2.6%)
設問2 講師の話について
(n=38)
1 わかりやすかった 25人
(65.8%)
2 むずかしかった 4人
(10.5%)
3 もっと詳しく知りたかった 5人
(13.2%)
4 その他
(   ) 8人(21.1%)
設問3 今回のセミナー(講演・見学)についてのご意見・ご感想をお聞かせください。20件
・講演内容について…大変参考になった、専門的な話だった、転車台にこだわりすぎ、など
・次回への期待…次回も絹と建築の話に期待、など。
・会場・設営について…見学時マイクの使用があればよく聞けた、聞きづらかった、など
設問4 今後、参加したいセミナーのテーマや見学したい場所などをご自由にお書きください 14件
・具体的な建築物…県立博物館、警友病院別館、三渓園内の日本建築、など
・興味のあるテーマ…横浜近代建築と建築美学等、昔の人々の暮らしぶりを知りたい、など
設問5 このセミナーは、何を見てご応募いただきましたか
(n=38)
1 ヨコハマヘリテイジからの案内 18人
(47.4%)
2 横浜市からの案内 7人
(18.4%)
3 ホームページを見て 3人
(7.9%)
4 新聞を見て 9人
(23.7%)
5 その他
(  ) 3人(7.9%)